【前編】学生時代めっちゃ変わった話【自叙伝】

学生時代にめっちゃ変わった話【前編】

こんにちは、

僕は普段大学生や大学院生を応援したり、役立つ情報の発信を目指してるのですが、今日は僕が学生の時にめちゃめちゃ失敗して、それをきっかけに変わった話をしたいと思います。

概要を話すと、大学二年のときまでテキトーに過ごしすぎて留年する可能性もある状況だったのですが、少しずつ自分を変えて大学院にも無事合格したという話です。

正直変わるのは大変で大きなストレスがかかりました。

もし皆さんがいま過去の僕と同じでテキトーに過ごしていて、でも変わりたい方がいたらこの記事を読んで頂ければと思います。

ぐーたらして学生時代の二年間を無駄にした

僕は大学に入って以来「単位さえ取れて卒業できればいいや」と思い授業に出てゲームをする生活をしていて、下の図のような感じのスケジュールでした。青色の字がゲームをしていた時間です。大学1, 2年はほぼこんな感じでした。

筆者のぐーたら生活スケジュール

一日のなかで勉強時間がありませんでした。授業で出される課題はほとんど友達に見せてもらっていたので学習ではなく作業でした。

もちろん成績は悪かったのですが、「人間は成績で測れない」と謎の自信とプライドがありました。

抱いていたもやもや

卒業さえできれば良いと考えていたのですが、時間を無駄にしていないかと疑問を持つことはありました。

このまま無駄な時間を過ごすくらいなら学校辞めて仕事した方が良いのではないかとまで頭によぎりました。

大学に通う意味ってなんだろう

このように考えながら一年生を終えました。

正確には考えてすらいなかったと思います。現状が良くないことを正当化することすら避け、考えないようにして毎日毎日その場しのぎの心持ちでいたのだとおもいます。

とにかくイライラしていた二年生

大学二年生では本当に嫌なことが続いたり、重なってあらゆることにイラついていました。

しかし、この重なったイライラが後に僕を変えていきます。

人付き合いがつまらない

大学にいるといろんな人と出会うと思います。その中でもなぜか気が合いいつも一緒に過ごすようになるメンバーがいたりする場合もあると思います。いわゆる「いつメン」ってやつです。僕もいつメンが居て授業も昼もなぜか一緒に過ごしていました。

しかしこのころはいつメンとの気が合わなくなっており一緒にいるのが面倒で仕方なかったです。

早く帰りたいのにダラダラされる、先に帰ろうにも帰りにくい、一緒にいてもおもしろくない

一人でいたいけど、いきなり一人でいるとなんか気まずいし、他に座る席ないし、だる

と思う毎日でした。

いま思うと、授業の課題を見せてもらってるのにこんなことをもうとは自己中もいいところでした。

アトピーの悪化

僕は小さい時からアトピーを持っていたのですが、大学二年生の時にひどく悪化してしまいました。

おそらく食生活や不規則な生活が原因でした。

僕は悪化が止まらず、皮膚科で薬をもらうまでは寝ても痒くて途中で起きる、日中も痒くてじっとしていられない状況になっていました。

アトピーが悪化すると何をしても身体(僕は主に背中)が痒くなり、どんどん身体ボロボロになります。

一番厄介なのは自己肯定感が下がり続けることです。体だけでなく精神的にもボロボロになっていきます。

さらに悪くなった成績

全く勉強していなかったので当然成績が上がることはなく、また、二年になり内容も難しくなり成績はどんどん落ちていきました。

正確な順位は発表されていませんでしたが、学科50人中でワースト5位には確実に入っていました。

成績表にはC, D, Fしか並んでいませんでした、GPAは恐らく1.7くらいしかなかったと記憶しています。

これはどんな状況かというと三年生になれない可能性があるというものでした。

僕の通っていた学校では二年生までに一定の単位を取らないと三年生に上がれないという制度がありました。僕はその制度で留年しそうだったということです。

全てを変えるきっかけの電磁気学

そしていよいよテキトー生活のつけが回ってきました。

忘れもしない電磁気学の授業。物理系の学生の方ならご存知かもしれませんが、物理学科では必ず電磁気学という学問を勉強します。

これがシンプルに難しい授業でよくわからない方向に力が発生したり、その数式が難解だったりと、普段から勉強頑張ってる学生でも躓くことが多い授業でした。

もちろん、当時の僕が理解するはずがなく、このテストどうやって乗り切ろうかなー、めんどいなーといつもどおり考えていました。ちなみに、その授業は必修で落としたら僕は留年です。

いつも通り学校に行ったら、皆んなやたら勉強していました。なんでそんな真剣なの?と聞いたら、どうやら試験当日でした。

僕はスケジュール管理すらできてなかったそうです。

シンプルに難しい授業の試験をノー勉で突破できるわけがありません。

急いで出そうな問題の解答を見せてもらい、試験本番ではそれっぽい数式を並べてわけわからないまま解答しました。

結果から言うと、単位は出て留年は免れました。

しかし、このとき僕は気づきました。

試験が終わったら直ぐにスマホのゲームを全てアンインストールしました。

そして自分の全てを変えようと決心しました。

痛い目を見てやっと気づくことができました。

全てを変えた話に続く↓

タイトルとURLをコピーしました